約40年余あまり保育園、幼稚園、こども園で保育士、園長として携わってきた経験を活かし、新たに小規模保育園を開設し、日々の子どもたちの成長、社会の子育て環境等を保育園での生活を通して再度子どもの姿、子育て、保育園の役割等を振り返りながら、、感じたこと、考えることを毎月綴ります。



4月「ご入園・ご進級おめでとうございます」 

園長 内藤かず子

 

 4月からの新入園児は別紙に紹介しましたように10の名子どもたちが仲間入りしました。ご入園おめでとうございます

そして在園から1歳児に進級した2名、2歳児に進級したお友達が7名で合わせて定員の19名の子どもたちで2024年度が始まりました。  

また先日は、のっぽ保育園の2023年度の2歳児(今年度から3歳児)9名をそれぞれの転園先に送り出しました。のっぽ保育園の開園からの3年間過ごした子は2名、他の子は2年間~3か月間の保育でしたが、どの子も個性豊かに育ち、これからどんな風に育っていくのか、とても楽しみであり、何だかここで保育園を離れていくのが毎年のことですが、寂しいような、ここまで保育して手放すのがもったいないような(これから就学前まで今までの育ちを土台にし、どのように成長していくのかをみていたい!)複雑な気持ちになりました。

皆様もご存じかとも思いますが、日本の保育士の配置基準は先進諸国OECDに比べて低く、先進諸国の3歳児~5歳児の平均値は「職員一人につき最大18」に対して日本の基準は、3歳児は保育士1名につき20名、45歳児は保育士1名につき30名となっています。

今年度より45歳児については保育士配置改善の加算が行われ、保育士1名につき25名となり、2015年からも3歳児20名から15名の職員配置改善となっていましたが保育士不足と併せて考えるとどこの園もこの配置改善ができているのかは疑問です。

同時に保育の質が問われています。「不適切な保育」と称して近頃は頻繁に報道されるようになり、同じ保育士としてなぜこのような保育になってしまうのか、保育士として恥ずかしいし、世間一般の保育士を見る目が、保育士という専門職より、子守り程度に思われるのではないかと、とても残念で情けなく思うことが度々あります。と同時に現場の大変さは自身の保育経験からもわからないわけではありません。(だからと言って、不適切な保育は絶対にあってはならないのは当然です)

柴田 悠氏(京都大学大学院教授)のメタ分析によると、欧米の保育職員の配置基準の平均値(職員一人につき最大18名)は子どもの発達を促進する領域に入っているのですが、日本のこうした配置基準は子どもの発達を阻害するという領域に入っています。

そして欧米諸国の30件の研究結果をメタ分析した柴田教授の研究によると35歳児の発達が通園によってポジティブに促進されるために必要な職員配置はおおむね「職員一人につき15名以下」となっています。

確かに集団の大きさ(職員が受け持つ子どもの数や集団としての人数)は保育内容・保育の質を大きく左右することは私自身の経験からも納得できます。

転園していった子どもたちは、どのような環境の中で育っていくのだろうか。少なくとものっぽ保育園よりも大きな集団の中での生活にどこまで慣れ、今まで以上に自己主張し、自己を発揮しながら自分を大切にし、他者(違いを)を認めながら主体的に集団の中で育っていってくれるだろうか、しばらくは職員共々、期待と不安の日々を送ることになりそうです。(笑)

 

 

そして、新入園児も少しづつ保育園に慣れるようにできる限り、私たちは子どもに寄り添い、不安を取り除きながら、安心して園生活を楽しめるよう、専門職の保育士として、子どもたち一人ひとりがもつ個性、特性を伸ばしていけるような保育を今年度も職員一同目指して参りますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。


3月「小規模保育園のメリット」

園長 内藤 かず子

 

 のっぽ保育園の2歳児と一時預かり保育の2歳児が、来年度4月よりの転園、入園が心配されていましたどの子も決まりほっとしました。というのも小規模保育園は0.1.2歳児の在園で3歳児になる時は転園・退園⇒入園(幼稚園)しなくてはいけません。しかし今年は園周辺の保育園はどこも転園するには厳しい状態であることを聞いていましたので心配をしていました。

 20154月から施行された子ども子育て新制度によって地域型保育施設として小規模保育園が誕生しましたが、3歳児は小規模保育園には在園できませんので幼稚園かこども園、保育園のどこかに転園する必要があります。

 幸い、小規模園からの保育園への転園には加点(保育を必要とする度合いを数字で見える化)がありますので厳しい中でも何とか希望する保育園に入園できたようでうれしく思います。

 どうしても小規模保育園に入園することは、3歳児になれば転園しなくてはならず、3歳児になって改めて園選びをするのであれば、最初から就学前の5歳児まで在園できる園を保護者の方は選びたくなりますね。

 小規模保育園の良さは、なんと言ってもアットホーム的な保育園(園によっても違いはあるかも知れませんが)であり、0.1.2歳児の乳児にとっては生活しやすい環境にあると言えます。

 私は、今まで規模の大きい保育園、こども園に勤めてきました。0.1.2歳児の集団がそれぞれに20名近くいる中での保育は、子ども一人ひとりを大切に」と言いながらも本当に大切にした保育ができたのだろうか?保育士定数を守ることが精一杯、子どもたちの一人ひとりの発達にしっかり保育士として向かい合って保育したのだろうか?と常に思っていたことがのっぽ保育園(小規模保育園)で子どもたちを保育をしていく中で

 過日31日に在園する2歳児親子を対象に「さようなら、ありがとうのっぽ保育園」と題してのっぽ親子ランチを行いました。(企画内容、メニューや参加しての感想などはのっぽ保育園ホームページの今月の食育献立をご覧ください)

 8組の親子参加ののっぽランチでした。

 新しい園への入園説明会に参加しての情報交換から始まり、子どもたちの保育園での様子などをのっぽランチを食べながら和やかな雰囲気の中で行われました。その中で私が子どもたちに「のっぽ保育園で楽しかったことはどんなこと?」と聞きながら、これは2歳児に時間の流れで過去のことで楽しかったことと聞くのはちょっと難しかったかなと内心思いながら、私から「お散歩に行ったね。消防署で消防自動車をみたり、救急車に乗せてもらったりして楽しかったね・・、お天神様にもいったよね」とイメージしやすいように具体的に話し始めると「住吉公園にもいった!」とイメージが膨らんできたのか答えてくれました。

 そして「お庭で水遊びしたこと!」と話してくれたHちゃん。のっぽ保育園での思い出がしっかりとHちゃんの中にあることにびっくりしました。確かに暑い夏は園庭にシェードを張ってプールを出して毎日のように水遊びを楽しみましたね。またMちゃんは「絵本を読でもらったこと!」と答えてくれたのにこれまたびっくりするやらうれしいやら。きっと私の問いかけにそばにいたお母さんが補足して子どもたちに問いかけてくださったのだろうと推測しますが、子どもたちが

私たち保育者が子どもたちの喜んでもらいたいと思いながら保育していることが、子どもたちに確かに伝わっていたことがわかりとてもうれしくなりました。

 

 それにしても2歳児がのっぽ保育園での思い出としてこうしたことを挙げてもらえるのは、保育者としてうれしい限りです。


「保育園(保育士)は二刀流」

園長 内藤 かず子

 

大谷翔平選手と言えば、野球に関心のない方でも今や誰もが知っているでしょう。昨年はアメリカMLBでホームラン王やMVPに輝き、数多くの賞を受賞しました。また最近ではドジャースに莫大な契約金で移籍したしたことや日本全国の小学校に大谷グローブをプレゼントしたことは話題になりました。

 彼と言えば勿論、投打の二刀流! 彼がこれほどまでに活躍できるのは、生まれ持った才能や恵まれた身体は勿論ですが、彼の色々な情報を見聞きする限りは、彼は、自身の野球に対する考えに基づいて、食事や睡眠などをはじめとする日々の生活のコントロールや身体トレーニングなどの努力があってこそだと思いました。

 大谷選手が二刀流ならのっぽ保育園も二刀流!?なのです。「幼児の保育、教育」と「子育て支援」の二刀流です。

 のっぽ保育園は開園当初は一時預かり保育は定員3名で行ってきましたが、2年目には一時預かり保育の希望が増え、202212月より定員を増やして、できるだけ保護者の方のニーズに応えてきました。

 開園当初は利用人数が延べ196名、2022年度は445名、2023年度は見込みですが750名以上になりそうです。

 市内の保育園、こども園も一時預かり保育事業はしていると思いますが、これだけの利用があるとは思えません。どの園も十分な受け入れ体制が整はないことが主な原因ではないのかなと思います。主には保育士不足です。また園の行事と重なるとどうしても十分な受け入れ体制ができないのが私の過去の経験からも想像できます。

 昨年「こども未来戦略方針」で異次元な少子化対策が、こども家庭庁から出され、児童手当の拡充や出産等の経済的負担の軽減、男性育休取得促進、などと一緒に『全ての子育て家庭を対象とした保育の拡充』がありました。具体的には「子ども誰でも通園制度」といい保育園を利用するのに理由は問わないで0歳児~2歳児を対象にした月10時間程度の利用ができるというものです。就労等で利用したくても保育園やこども園の定員に空きがなく待機児童とされている子どもたちがある中では、中々現実的なところでは無理があるかも知れません。しかし今年度はモデル事業として全国でいくつかの園が取り組み、2024年度は150程度の自治体での実施を予定し、2026年度より法律に基づく新たな通園制度としてすべての自治体で実施するようになっているようです。

 日本の少子化対策は1989年の日本の“特殊合計出生利率”の1.57ショックから少子化対策として最初に出されたのがエンゼルプランです。そこでは、「就労と子育ての両立支援」が重点的に行われました。その時から『子育て支援』という言葉が公に使われたと記憶しています。

 そして、2008年に改定された“保育所保育指針”にも保育園(保育士)の役割として、子育て支援を行うことが明記されました。

 のっぽ保育園の預かり保育は、「子ども誰でも通園制度」とは異なりますが、入口は子育て支援(保護者支援)ですが、そこに来る子どもにとっては、在園児と同じように保育、教育を受けられなくてはいけません。

しかし、現場では多くの保育園が十分な受け入れ態勢が整っていないところに、このような支援策を打ち出しても“付け焼刃的”なものになりはしないかと危惧します。保育園は託児所でもなく、保育士の仕事は子守りではありませんから。

 そろそろ根本的な少子化対策、子育て支援策を打ち出さないことには、日本の未来が危ない!

 子育ては、そして乳幼児の保育、教育は、日本の未来を創り出しているのです。

 

 のっぽ保育園も大谷選手のように、保育園(保育士)の役割を基本にし、“子育て支援”と“保育と保育士の質の向上”を目指し、二刀流で頑張っていこうと思います。 磐田の未来、日本の未来のためにも!


1月「そこに“愛”はあるんか?」

園長 内藤 かず子

 謹賀新年 本年もよろしくお願い申し上げます。

今年の元日の夕方に起こった能登半島地震では誰もが「なぜ今なの?!」と思ったことでしょう。

昨年暮れからの特別番組でWBCWorld Baseball Classic)の日本選手の活躍、特に大谷翔平選手の試合に臨む彼の心情や栗山監督の「選手を信じる」ことがチームを団結させ、日本の優勝を導いたことに、改めて感動して私は新年を迎えたのでした。

そして元旦の最大震度7の能登半島地震のテレビのニュース速報に「エッツ!、なぜ今なの? 日本中が日ごろ忙しく働いている人も、この日だけは家族、親族、または友人とのんびりと過ごしている時に・・・」と思いながらテレビの画面を見ていました。

そして翌日、羽田空港での日本航空516便と、海上保安庁の航空機との衝突事故、「航空機の乗員379人は無事奇跡の脱出!」と報じられる中「奇跡ではなく日ごろの訓練の結果」と航空関係者が話しているのを聞いて、「確かにそうだよ。本当に無事でよかった」と思うと同時に、「海保機に乗っていた6人のうち、5人の死亡」というニュースには、胸が痛みました。それもこの海保機は能登半島地震で被災されたところに支援物資を届ける役割を受けてのことでしたから、「何でこうなってしまうの?!」とやり切れない思いがしました。

管制塔の役割は、こうした事故を起こさないためのものであるのが起きてしまったのです。

天災は、現在は人間ではどうすることもできないし、まだまだ防ぐことはできません。そして天災は人間の生活にお構いなしにやってきます。今回の地震のように。人間の無力さを痛感します。

しかし、人間が原因で起こされた災害や事件、事故は毎日のように報道され、それもすべてではなくその中のごく一部だとか。私は主にテレビのニュース番組や新聞が主な入手の媒体ですが、今はネットをつなげば、知らなかった情報が次々と現れ、「いったい何を信じ、どのように生きていけばいいのか」と思ったりします。そして人間でありながら「人間不信?!」状態から偉そうにも自分を含めて現代人は「人間としての質が低下しているのかしら?」と思ったりします。

では具体的に「人間の質」とは何をいうのか考えると・・・

・「容姿端麗」ではないですよね()。 ・「経済力」それは在るかもしれませんね。しかしそれがすべてではないことはわかります。 ・「高学歴・社会貢献度が高くそれぞれの専門分野での賞を受賞」確かに人間の質を考えたら高いかもしれません。がすべての人間に共通したものであり、それが人間の質を左右するものと考えると、こうした一握りの方が、質が高いと考えると同じ人間として生きていてもそこまでの質を求められても・・・。 

 「人間の質」を考えた時、誰もが持っていても人によって現れ方が様々に違う一つに “愛”があります。

 

聖書に“愛”について書かれた箇所があります。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

また「たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい・天使)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち・寺で法事や葬式のときに使う楽器)と同じである」とも。

 

 何かのCM“そこに愛はあるんか?”ではないですが、人間としての質を考えた時、これも一つの基準になるようにも思うのですが、皆様はどのように考えますか?


12月「クリスマスはね・・・」

園長 内藤 かず子

 今年も残すところ一か月を切りました。「あっ!」という間の一年でした。

12月になると皆様は何を連想されますか?

師走、年末、大掃除、歳末セール、クリスマス等といつもの月と違った多くのものが思い浮かぶのではないでしょうか?

では、クリスマスと言えば多くの方が、イルミネーションで飾られたクリスマスツリーやクリスマスケーキ、サンタクロースやプレゼントをイメージするのではないでしょうか。

クリスマスは、近年になって日本でもお祝いされるようになりました。

本来クリスマスは皆様もご存じのようにイエスキリストの誕生を祝うキリスト教の行事です。仏教国の日本では、あまり馴染みがありませんが、暦の西暦はBCBefore  Christ)紀元前、ADAnno Domini =<キリストの年に>ラテン語キリストが生まれた年を元年とする西暦表記)イエスキリストの誕生を基にされていることはご存じのことと思います。

このように全く関係がないことはなく、知らず知らずのうちにイエスキリストに関することでも生活の中に入っています。

日本でのクリスマスもそうですね。

クリスマスツリーに飾られるトップスターは、イエスキリストの誕生を知らせる星であり、聖書では3人の博士がその星を頼りに没薬、乳香、黄金の品を携えてイエスキリストが生まれたベツレヘムの馬小屋にお祝いに駆けつけます。

イエスキリストの誕生は、神さまの使いの天使(ガブリエル)よりマリアは受胎告知(神の子を産む)を受け入れました。イタリアのフィレンツェのウフィツィ美術館にはレオナルドダビンチが描いたと思われるこの受胎告知の絵があります。

キリスト教徒ではない人も日本では今やクリスマスツリーを飾り、クリスマスケーキを食べ、サンタクロースからプレゼントをもらうことがクリスマスとなっていますが、クリスマスはそのようなところからのものであることを知っていてもいいでしょう。

 

先月、モンテッソーリ教育の「自己教育力」(どんな子でも育つ(発達する)力を持っている)ことに触れました。

子どもの育ちは早い、遅いはありますがどんな子も育つ力を持っている!と日々子どもたちと生活していると実感します。

排泄の自立一つとっても、現在のっぽ保育園の2歳児は全員布パンツで、午睡も布パンツでも大丈夫の子もいます。紙パンツや布おむつの中より便器に座って排尿、排便することの方が、気持ちがいいことを知り、また紙パンツよりも布パンツの方が身に着けていて心地良いことなど学んでいるのでしょう。そうしたことはまさに自己教育力です。

この自己教育力を先のキリスト教の聖書では“神さま”ととらえ

は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さったのは神です」<新約聖書コリント信徒への手紙36

アポロを親や保育者と考えると、自己教育力とは、神さまが誰にも与えてくださった力、能力、タレントなのかもしれません。

 

 私事で恐縮ですが、5月の園だよりでお伝えしましたが、今年は1月にがん告知を受け、4月に8時間余に及ぶ子宮等の摘出手術を受け、その後化学療法として104日の最後の6回目の抗がん剤投与を終え、今に至っています。

抗がん剤による副作用と思われる、手足のしびれ、めまいには今も悩まされていますが多くの方々から励ましのメールや言葉を頂き、また休みがちな私が、体調の良い時に保育園に行くと私の身体を知るはずもない子どもたちが、そばに寄ってきて以前と変わらない言動で私を迎えてくれます。本当にありがたく、それが一番の治療薬になりました。

 今後は2ヶ月に一回の経過観察の定期健診となりました。この年齢まで、健康で生かされてきたことに改めて感謝です。

 

 皆様も健康には十分留意され、良いお年をお迎えください。


11月「この子たちの未来をたしかなものに」

園長 内藤 かず子

 

 私は、社会の出来事などは毎日配達される新聞から情報を得ています。合わせてTVやラジオから流れるニュースも新聞で確認する時もあります。そうした意味ではアナログ人間です(笑)

 しかし、スマホを誰もが持つ時代では、ネットニュースで世界中の出来事をライブで知ることができます。

 最近は、イスラエルのガザ地区侵攻によって、犠牲になっている人々の様子や、建物が次々にミサイルや砲弾によって崩れていくニュースが毎日のように流されています。数日前のニュースではガザ地区だけでも一万人以上の死者を出しているとのニュースもありました。これって人間がしていることです! ウクライナとロシアの戦争は・・・。いつの間にか、まるでなかったかのように、今まであれだけ流れていた情報が・・・。自分で意識していないと忘れてしまいそうです。

 つくづく、改めて人間の愚かさ、弱さを、自分を含めて感じます。

 宗教、政治や経済などがより絡み合って争いを複雑にしているのでしょう。まさしく人間が作り上げたものです。

 そして人間はもう一方では、「人の命は地球よりも重い」と考え、命の大切さをお互いに伝えています。

 この矛盾はどこから???・・・なんて、考えても 答えは見つかるはずもなく、毎日が過ぎていきます。

最近のニュースから

 “将棋の藤井聡太、史上最年少で王座奪取と八冠達成!”は「すごい!!」と誰もが思ったことでしょう。

「八冠!」ですよ。私は小学生のころご近所の方から将棋を教えてもらいました。私の指す将棋は、せいぜい1~3手先を考える程度で、後から一手、一手を順番に振り返りながら、始めから終わりまで駒の動きを覚えていることはできません。 プロとは言え自分と相手の何十手の先の動きを考えながら、駒を動かすなんて、どんな頭脳をしているのでしょう!? そして日本の将棋界の八つのタイトルを持ちながら、それぞれのタイトルを防衛し続けるのはいつまで続くのでしょうか!

彼は、幼い時はモンテッソーリ教育を受けていたことは、ご存じの方も多いと思います。

マリア・モンテッソーリ(1870年~1952年)は、イタリアの女性初の医学博士でした。彼女は、障碍をもった子どもたちの治療教育に携わりながら「どんな子でも育つ(発達する)力を持っている」ことに気づき、子どもの発達は「自己教育力」を基に大人は、その時々に応じて子どもが発達していく上で必要と思われる環境整備をしていく」というモンテッソーリ教育を実践しました。今では世界中で多くの著名人がモンテッソーリ教育を受けていたことを知ることができます。

モンテッソーリ教育の目的は、「自由が保障された環境の中で、大人の価値観で一方的に教え込もうとするのではなく、こどもの興味や関心の発達段階を正しく理解し、子どもが「やってみたい!」と思う環境を大人が用意し、子どもの自発的活動(主体的活動)を促す。また将来自立していて有能で責任感と他人への思いやりを持ち、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」とあります。

彼はモンテッソーリ教育を受けたからではなく、才能や努力があればこそだと思います。しかしその才能を生かし、努力を続けられてここまでできたのはモンテッソーリ教育の下地が彼の中にあったのでしょうか。

のっぽ保育園でもこのモンテッソーリ教育に共感して保育、教育を目指しています。

 

この子たちの未来が、戦争のない、お互いに認め合いながら、人間として、崇高な生き方ができる社会にするためにと願いながら、今この時の子どもたちの関りを大切にしていこうと思います。


10月「非認知能力は人生を豊かにする」

園長 内藤 かず子

 

 子どもが生まれて、一人の人間として社会に巣立つまでには多くの経験をします。

 以前にもこの園だよりで触れましたが、経済学者ジェームス・ヘックマンは著書『幼児教育の経済学』で、ペリー就学前教育から非認知能力の大切さに触れました。

 「非認知能力」とはご存じのようにIQ(知能指数)のように数字で表すことができない能力のことです。

「やってみたいな(意欲)」、「いっしょにやろう(協調性)」「最後まであきらめないぞ(粘り強さ)(忍耐力)」、「どうしたら目的達成できるかな(計画性)」、「それはいけないよ、私はやらない(自制心)」、「そうだよね。私はこのように考えるのだけれども、もう少しあなたの考えを聞かせて(コミュニケーション能力)」などの能力で、このような能力は成長するにつれて学力や進学率、就職率や年収、マイホーム購入率などが高まり経済効果を産んでいると伝えています

ではどのように非認知能力を育てたらよいのでしょうか?

以前にもここで書きましたように「愛されて育つ」ことです。しかし「愛されて・・」がとても難しいですね。ただ子どもの言うことを聞くことが「愛する」ことではないことは誰もがわかっていることですが、子育て真っ最中の当事者となると見えなくなってしまうことも多々あるようですね。

子どもたちの「イヤイヤ期」の大人の対応によっても子どもの受け止め方は違ってきます。大人からしたら「何で、イヤなの?そんなことできるわけないわよ!」とでも言いたくなるような子どもの「イヤイヤ」は本当に困ります。

しかしその「イヤイヤ」を受け止めましょう。

頭ごなしに「そんなことできるわけないでしょ!」をやめて、「〇〇ちゃんはそうしたいんだよね」とまず一言。この言葉があるかないかで、子どもの大人に対する見方が変わってくるでしょう。

頭から否定されたら、そこで終わりです。子どもも次につながるものが残っていれば、新たなものが見えてくるかもしれません。

また「自己肯定感を育てる」ことは、子どものもって生まれた「潜在能力を育てる」ことでもあり、マリア・モンテッソーリは、 「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の存在からモンテッソーリ教育を打ち出しています。

「非認知能力」と「自己教育力」、「自己肯定感」は互いに繋がっています。

非認知能力は乳幼児期だけでなく、人が生きていく上で必要な能力であることは、近年教育界でも言われるようになりました.

これからは学力をつけるだけの教育から、人として豊かに生きていくための教育が必要です。

そのためには、学力と同時に非認知能力を育てるための授業が新たな取り組みとして行われているところもあるようです。

そこには用意された「振り返りシート」によって、自己を見つめなおしながら、非認知能力を高めていくことが示されていました。

 

 何年後には、日本の教育もそのような教育になっているといいなあ。


9月「助産師による保育実践活動」

園長 内藤 かず子

今月の園だよりのお知らせにもありましたように、開園当初から午前中の保育を担当しておりました五十嵐保育士が、出産のため8月末で退職することになりました。

五十嵐保育士の勤務最後の日に、子どもたちに「もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよ」「お腹の中に赤ちゃんがいるよ」と子どもたちに話したのですが、私はあいにく体調不良で自宅療養でその場にはいませんでした。

その報告を受けて思い出したのが、私が以前勤めていた保育園で、「助産師の立場からの保育」を一緒に考えていた助産師による保育です。幼児(4.5歳児)にもわかりやすく、具体的に「心音を聞いて生命(生きている)!を実感」の保育実践活動です。

その日は妊婦の保護者の方にも協力していただきました。用意した聴診器を使って子どもたちに自分の心臓の鼓動を聞いてもらいました。

殆どの子は自分や自分以外の人の心音を、用具を使って聞いた経験はなかったようで、子どもたちも興奮気味でした。

どの子も自分の心臓の鼓動、心音が“トク、トク、トク”って聴診器を通して聞こえてくることを新鮮に受け止めているように見受けられました。

助産師から「この音は生きていることであり、命の音、生きているから聞こえる音」であることを聞いた後、今度は妊婦の保護者の方のお腹に特殊な機械を当て、胎児の心音を子どもたちに聞いてもらいました、

すると今聞いた自分の心音とお腹にあてた機械から聞こえてくる胎児の心音が、「トク、トク、トクって!何だか同じみたい?」と似ていることに子どもたちは気づきました。

そこから、「このトク、トク、トクって聞こえる音は、赤ちゃんの心臓の音で、みんなと同じように生きているから聞こえてくる音。お母さんのお腹の中で赤ちゃんは一生懸命生きているんだよ」と助産師が話すと、自分はお母さんのお腹の中から生まれたことは4.5歳児なら大体知っていますので、子どもたちから「僕がお母さんのお腹の中にいた時もそうだったの?」と自分と置き換えての発言がありました。「そうですよ!あなたもお母さんのお腹の中で“トク、トク、トク”って心臓が動いて一生懸命に生きていました。そしてある日、お母さんのお腹の中から赤ちゃんが通る道を通って“オギャー”って生まれたのよ」の言葉に、「ワッー!」の歓声があがり、どの子も何とも言えない笑顔を見せてくれたのでした。

そして数日後、その実践活動から助産師の保育活動を受けた園児の中で、出産してすぐ母親を亡くした園児の祖母の方から「孫が『どの子もお母さんのお腹の中から生まれてくるんだね。私は、お母さんはいないけれど、私も赤ちゃんの時、お母さんのお腹の中にいたんだよね』と家族に話してきたので驚きました」と私に話されました。私は驚きとうれしさでその時の助産師の活動の内容を詳しくお話ししました。

するとその園児の祖母の方は、「この子の母親が出産直後亡くなり、生まれてから、残された家族で今まで大切に育ててきたが、この子を気遣って、あまり母親のことは家族でも触れないようにしてきた。『母親はお仏壇の中にいるよ』と小さい時から言ってきた。しかし今回、孫の言葉から今まで本人は自分と母親との関係は、お仏壇の中の母親(遺影)でしかなかったことに気付かされた。」と話されたのです。

この助産師の活動から、この園児は、自分にもお仏壇の中の母親ではなく、「自分を生んでくれた母親がいる!」と助産師のこの活動を通して実感したのです。母親の存在がこの園児の中で明確になったのです。

 

この助産師の活動は、これだけではありません。私は何回かこの助産師の保育実践活動を見てきましたが、そこには子どもにも解りやすく、生きているいのちひとりではないつながっている などが盛り込まれ、子どもたちはその時々で新鮮な発見をしてきました。そしてその発見した時の子どもたちの顔が今でも忘れられません。


8月「神さまの堪忍袋の緒が切れた!?」

園長 内藤 かず子

 8月は夏季特別保育が入り、8月の園だよりはいつもより遅れてしまいました。

特別保育期間中、台風6号、7号が日本接近、特に7号については一時は静岡県直撃予報が出されて心配したのですが、西にそれて、近畿、山陰地方は大雨、洪水被害のニュースが流れ、またハワイのオワフ島の山火事は、島全体が焼き崩されたような状態で死者も111人、行方不明者1300人(18日現在)と報道されていました。

地球温暖化が原因の洪水や山火事と思われます。連日の天気予報では、35℃越えの地域がほとんどで、39℃となっていた地域もあり、一瞬何かの間違いかとも思い、テレビ画面を見ていると、気象予報士が「39℃のこの地域は特に熱中症に注意し、できるだけ外出は控え・・」とアナウンスしているのを聞いて「間違いではなかった。それにしても39℃とは、地球はいったいどうなってしまうのだろう」と改めて思った次第です。

私は洪水といえば皆様もご存じとは思いますが、旧約聖書の「ノアの箱舟」のお話を思い出します。

ご存知かとも思いますが簡単にあらすじを記してみます。

旧約聖書のノアの箱舟は、地上に増えた人間があまりにも堕落しているのを嘆いた神さまが、「すべてを洪水で滅ぼす」と決め、真面目に生活しているノアに、箱舟を作るように命じたのです。箱舟にはすべての動物のつがいとノアの家族が乗り、箱舟に乗ってから7日目から雨が降り始め、洪水は40日間続き、150日間水は地上で勢いを失わず、箱舟が山の上に止まった時、ノアは外の様子を調べるためにカラスを放ちましたがカラスは止まるところがなく戻ってきたので、今度は鳩を放すと鳩はオリーブの葉を加えて箱舟に戻ってきました。それを見たノアは、箱舟から家族や動物たちを出すと、神さまは「すべての生物を絶滅させてしまうような大洪水は、これからは決して起こさないと約束する」として約束のしるしとして空に虹をかけた。

といった内容です。

神さまは「洪水を起こさない」と約束したのに・・・。日本だけではなく、世界が地球温暖化の影響から洪水をはじめ地球の環境破壊が報道され、この暑さを体験している我々の現実は、神さまはあまりにも人間の経済中心の生活(地球温暖化の要因)からの格差社会を産み、そこから戦争が起こり、また近年の犯罪は「人間としての生き方が少し変だよ」と、ついに神さまも「堪忍袋の緒が切れた!(笑)」のかもしれないと思ったりします。

今、まさに新しい時代に入っているように思います。AI(人工知能)はその始まりかもしれません。AIはいったいどこまで進化していくのでしょうか?インターネットでもほとんどチャットはAIが対応しています。また身近なところでは夏休みの宿題の読書感想文から式典挨拶文、専門の論文までAIがやってくれる時代だとか。こうした時代になったらいったい人間は何をして生きていくのでしょうか? AIは人間を超えてしまうのでしょうか? そうなればこれまでの生活とはまた違った人間の生き方があるのでしょうか? 今この時代を生きている私たちには体験できそうにもありませんね。

神さまがいるとして、もしそうした時代になったら神さまはどのように私たち人間を導いてくれるのでしょうか?

神さまがいなくても人間だけで、だれもが安心して、希望をもって生きていけるような社会の仕組みが創れるかしら?

 

神さまの力も必要ならば借りてもいいよ。「創ってほしい!」「創ろうよ!」


7月 「子どもたちよ!ありがとう②」

園長 内藤 かず子

 

 園だより5月号でお伝えしましたように、私は4月下旬より治療の為お休みを頂きましたが、治療も紆余屈折しながらもだいぶ落ち着いてきましたので、7月より少しずつ “慣らし勤務” を始めています。

 お休みを頂いている間、皆様にはご心配、またご迷惑をおかけいたしました。また多くの励ましのお言葉やご協力を頂きありがとうございました。まだ治療を続けていく必要もありますが子どもたちが私にとっては一番の治療薬になります。

 私がお休みの間事務所にいるか、いないか、事務所のドアを開けて「園長先生、いないね」と確認していた子ども、また時々用事で保育園に短時間ではありましたが顔をだすと、それを覚えていて、降園後家族に「今日、園長先生いたよ」と報告をしていたなど、子どもたちの様子を職員や保護者様から聞きました。

 久しぶりに出勤し、今までのように子どもたちの様子を保育室に見に行くと子どもたちの反応も様々です。

 真っ先に私を見つけて、抱っこを求めて膝に入ってくる子、私の存在がわかっても無反応?で黙々と遊び続けている子、久しぶりでも当たり前のように以前と変わらず私に話しかけてくる子など様々です。

 その日は朝から出勤し事務所で仕事をしていると、2歳児のHさんが散歩途中転んで、傷は大したことはなかったのですが泣きながら園に帰ってきました。担任はこれから排泄、食事の準備がありますのでHさんに11で関われないので事務所で私が相手をすることになりました。始めは何を言ってもただ大声で泣くだけ、転んで擦りむいたところは消毒して絆創膏を貼っても泣き続け「もう大丈夫だからHちゃんもトイレに行って給食食べようか?」と聞いても泣きながら首を横に振るだけ、その時私は、検食の途中だったので「Hちゃん、今日の給食はこれだよ。ちょっと食べてみる?」と言うと泣き止み、うなずいたのでそっと一口口に入れてやりました。「どう?美味しい!でしょ、Hちゃんのもお部屋にあるよ。お部屋に行こうか?」と言ってもその気配なし・・。そのうち担任がHちゃんを呼びに来ましたので一緒に保育室に行き、食事となりました。

 それから私は数日後に朝から出勤し、その日は身体を休めることもあり昼食も自宅で済ませ、午後からは教育委員会に出向く仕事がありましたので、服装もある程度整えて約束の時間にまだ余裕がありましたので、午後再び園に出勤し、遊んでいる子どもたちのところに行くと、Hちゃんが私のそばに来て「何でお着き換えしたの?」と聞いてきました(よく見ていますね)。私が「今からね、大切な人と大切なお話があるからお着き換えしてきたのよ」と言うと「もう、どこにも行かないでよ」と一言。私はその言葉にうれしくなりました。

 Hちゃんは数日前の散歩で転んで痛くて、辛くて泣いた時、タイミング的に担任がじっくり関われなかった時、幸いにも私が関わったことで、私に対する信頼感?が少しばかり芽生えたのでしょうか?

 いやいや、久しぶりに私と午前中一緒にいたのに、お昼寝から起きて私と遊ぼうと思っていたらいつの間にかいなくなって、また現れたのでその時の気持ちを、ただ私に伝えただけのことでしょうか?

 どちらにしても、私はこの一言「もう、どこにも行かないでよ」にうれしくなり、「どこにもいかないよ、いつも一緒にいるからね」とこみあげてくる感情を抑えながらHちゃんに答え、Hちゃんの言葉に励まされ、病気に対する不安との葛藤の中で、勇気をもらったのでした。子どもの言葉は大人の思いや考えでどのようにも捉えられます。

 

私は子どもたちに育だてられているのです。ありがとう。


6月「子どもたちよ!ありがとう」

園長 内藤 かず子

 

 先月の園だよりでもお伝えしましたが、私は4月下旬より5月下旬の約一か月間お休みをいただきました。

その後、現在まで体調が良い状態の時は、短い時間でも園で仕事をすることが何日かありました。私自身が抗がん剤投与後の免疫が低下する期間はできるだけ子どもたちとの接触を避け、事務所で仕事をしていましたが、それを過ぎれば子どもたちと触れ合うこともできました。

 子どもたちは久しぶりに会う私を見ると、ちょっとびっくりした表情をみせましたが、子どもたちからの言葉はありませんが、今までのようにニコニコしながらすぐにひざに入ろうとしたり、絵本を持ってきていつものように私に渡し、読み始めると聴いていたり(絵本を読んで欲しいというより私との関りを求めている?)、また私が声をかけるとちょっと恥ずかしくてうつむいて、しばらく固まって(かわいい!)しまったりと様々でした。

 何よりHさんは、私が事務所にいることが分かると、嬉しそうに事務所に入ってきていつものように「抱っこして」と私に言って私が抱き上げ私のひざの上に座ると、私と一緒にPCを見ているのです。しばらくして担当保育士が「Hくん、お散歩に行くよ」と言って呼びに来たので私が「Hくん、お散歩だって、先生呼んでるよ」というと「園長先生もいっしょに行こう!」と私のひざから降りて私と手をつないで玄関に連れて行くのでした。

 私は玄関で一緒に散歩に行けたらいいのですが、まだそこまでの体力的にも時間的にも余裕がないので「今日は一緒に行けないのよ。ここ(事務所)でHくんがお散歩から帰るまで、お仕事しながら待っているからね」と言うと、不満だったのか担任を困らせている様子がわかりました。一緒に行きたい!を前面にアピールするわけでもなく・・・。以前の彼はそうした時期がありましたが・・・、成長しています。その様子をみて私は彼を呼び「私はね、ここでHくんがお散歩から帰ってくるまでお仕事して待っているから、お友だちと手をつないでお散歩に行ってらっしゃいね」と改めて彼をひざの上に抱きながら伝えました。

 すると何とか、いつものように散歩に出かけていきました。

 彼は今までも、散歩に出かけることよりは自分の好きな遊びをやりたい気持ちが強いと思われる時は、彼は散歩に出かけると途中で歩かなくなったり、友だちと手を繋ぐのを拒んだりと“保育士泣かせ()”でもありました。

 そんな彼が散歩から帰ってきたので、“どうだったかな?保育士を困らせたのではないかな・・”と内心心配しながら「おかえり!」と玄関で迎えると、どの子も「ただいま~」。いつものように帽子、靴を脱ぎ、靴下を脱いで靴の中に入れ、靴下の入った靴を所定の靴箱に入れ、トイレに・・と決められたコースをこなしている中で彼はどうかな?と見てみると、私と視線があうと笑顔を見せたので、決められたコースをやるのかなと思いきや一人違う動きをしているので「Hくんどうしたの? 私Hくんが帰ってくるのをお仕事しながら待っていたよ。お散歩がんばっていってきたんだね。私もお仕事がんばったよ」と言いながら彼の動きを注意しながら保育士と一緒に他の子どもたちをトイレに誘導するのを手伝っていました。その中に彼も遅くなりながらも他の子たちと一緒にトイレで排泄し、私が、最後になった彼がパンツ,ズボンを履くのを手伝うとその時、彼は私の耳もとにこっそり「お友だちと手を繋いで散歩したよ」と言ったのです。

 私は内心「本当かな?!」出かける時の様子からすると半信半疑だったので一緒に散歩に行った保育士に確かめると「手を繋ぎましたよ。あまり困らせることはありませんでした」の言葉に思わず彼の成長を強く感じ嬉しくなりました。(疑ってごめんね)

 

 やはりこの仕事は辞められない!ですね。


5月「がん告知を受けて」

園長 内藤かず子

 

新緑の季節を迎えたかと思ったらすでに季節は初夏!

4月に新入園児を迎え、慣らし保育のご協力をいただき、子どもたちも順調に保育園に少しずつ慣れ、笑顔も多くみられるようになりました。

 これからそれぞれが個性を発揮し、私たち保育者が子どもたちの成長発達を見守りながら、環境を整えて個性が少しでも発揮できる環境を整えていきたいと思います。

 

 私事で恐縮ですが、今年1月の検診で子宮がんが見つかり、421日に子宮等の摘出手術を受けました。

“子宮がん”と告知された時はまず「自分はこれから残された時間をどのように生きるか」を暫く考え、もう72年も生かされてきたのだから、それ以上生きるのは付録の時間()、「生きるために付録の時間は苦しい思いはしたくない!」との思いと、並行して現実味を帯びてきた“自身の死”について考える時間もこの期間に与えられました。(今や癌=死ではありませんが、私の中では、がん告知は死を意識してしまいました()

 結果的には、家族の意向もあり「たとえ付録の時間であっても最善を尽くす」道を選択し、これからはまた“6回の抗がん剤治療”に臨む予定です。

 今でも「あと何年生かされるのだろう?」「長く生かされても自身では何もできない介護ありきの時間が長いのはいやだなあ」「私がやるべきことは、後は何が残っている?」等々、走馬灯のように折に触れては自問自答しています。

 そして“自身の死”についても、自分が死んだ後のことをあれこれ考え(そこには自分は存在していないのに())、想像してしまい、一人で心配し、辛く、悲しくなり、息が詰まってしまうこともありました。

 しかし今は、「どんな生き物でも“生”まれることは“死”を条件に生まれるのは皆同じ」、「どんな生き物にも与えられた“死”は“生きる”時間の長短はあっても“死”はその時点ですべてのものは“無”になるのではないか(宗教的なところではまた色々な考え方がありますが・・)」

自分の“死”を考えた時は、“無になる”ことの恐れより、すべてのものとの“別れ”の辛さ、悲しさがありました。

それゆえ“無”になることの恐れや別れ”の辛さ、悲しさは、生かされている“今(時間)”を大切に自分らしく生きることで、“恐れ”“辛さ”“悲しさ”が、自分の死を迎える時には、「生きていたことの感謝」に変わるのではないか、という風にも考えたのです。

 何だか当たり前のところに着地したようです()

 今まで健康で過ごせた私にとっても改めて自身の健康や生き方を今回の「がん告知」で色々考える時間を与えられたことも私にとって必要だったのかもしれません。

 

 しばらくは、皆様にもご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんがよろしくお願い申し上げます。


4月「慣らし保育で受容、共感」

園長 内藤かず子

 

 

2023年度が始まりました。のっぽ保育園は開設が20214月でしたから今年で3年目を迎えることになります。

今年度は6名(0歳児1名.1歳児5名)の新入園児を迎えました。入園おめでとうございます。在園2歳児8名、1歳児3名と合わせると17名となりました。

 新入園のお子様は、初めて家庭から離れ保育園という新たな社会に踏み出したわけです。ご家族の皆様はさぞやご不安やご心配をされながらの入園の決断だったのではないかと察します。

 毎年のことながら慣らし保育の期間は保育室では、当然ですが泣き声が聞かれます。きっと不安であり子どもなりに、今までと違う環境に戸惑っているのです。

 顔をクシャクシャに涙と鼻水とで泣いて親御さんを探している姿を見るとこちらも「きっと不安なんだろうな、何だか知らないところに置いておかれて、ごめんね」と思いながら「ママ、すぐ来るからね」「悲しいね、もうすぐママくるよ」「これは何だ?(おもちゃを見せながら)やってみるね」とあれやこれやと対応しています。そのような時は、私たちはまず子どもに寄り添うことを大切にしたいと思っています。始めは泣かなくても、数日して母親がいないことに気が付いて泣き出す子、母親と離れて泣かないまでも不安であることが表情に現れている子など様々です。そして何日か経つと泣き声も少なくなり、子どもなりに環境に慣れ、遊び始めると「やれやれと安堵しながら、子どもたちの新しい環境に順応していく力に驚かされます。その分、もしかしたらご家族の方もほっとしながらもちょっぴり寂しさも覚えていらっしゃるのかも知れませんね。

 こうして子どもが不安で泣いている時に、何とか、泣くことをやめさせようとしがちですが、「まずはその子の不安な気持ちを受け止める」ことを私たちは最優先します。知らないところで、信頼している家族と離れて子どもは不安なのです。その不安な気持ちをまず受け止めなくてはいけません。「何も不安になることはないよ、ここは保育園だから、心配しなくていいんだよ、大丈夫だからね」は大人側からの発信ですから、子どもには伝わりません、この年齢ではわかるはずもありません。

 私たちは、その不安で泣いている子の気持ちを受容し、共感したいと思います。泣き止まらせることではありません。

「ママがいなくて悲しいね」「ママに会いたいね」「ママはどこに行っちゃったのかな」から「私があなたと一緒にママの来るのを待っているからね」が子どもに伝わるようにすることがまず大切だと考えています。

 特にこの年齢の子どもは、大人から受容、共感されることを通して、自己肯定感が養われていきます。自己肯定感とは「自分は大切にされているんだ。愛されているんだ」と感じることで育ちます。

 

 受容、共感できるのも、子どものことがわからないとピント外れな受容、共感にもなりかねません。そのためには子どもをよく知ることが大切です。今年も職員一同子どもの成長発達を日々観察し、それに対応した保育を目指して参りたいと思いますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。